三浦瑠麗さんの「孤独の意味も、女であることの味わいも」読了。




先日発売された三浦瑠麗さんの自伝。
さっそく読みました。

ミステリアスな彼女の私生活を覗いてみたい、
という半分ミーハーな気持ちで手に取ってしまったんですが、
1人の人間の、
毎日の生活への姿勢、
そこに至るまでの経験、
そこで抱いた葛藤など、
とても心にくるものがありました。

テレビやネット上で注目されている人は、
その発言や、そこから感じとれるものが、
まるでその人の全てであるかのように、
扱われがちです。

でも、そこからはうかがい知れないその人の歴史があり
ここまでの毎日の積み重ねがあり、
そしてそれを彩るものがある。
そんな当たり前だけど忘れてしまうことを、
強く実感させてくれる本でした。

そして、彼女のこれまでの日々と、
そこで飲み込んできた何もかもが、
彼女が醸し出しているものを生み出しているんだなぁと思うと、
自然と敬意を抱くような気持ちになりました。


生まれてから現在までを語る、その意味。


この本には、
彼女が育った幼少時代や、
思春期のできごと、
夫との出会い、結婚、
1人目の娘さんの死産、
2人目の娘さんの出産、
そして仕事と育児について、
とても丁寧に語られています。

丁寧に…というのは、
その時々に、
彼女が抱いていた気持ちや行動が、
冷静に分析され、自分の言葉で書かれている、ということです。

幼少時代のいじめや、
子育てや仕事の大変さに触れる場面もありますが、
それらの大変さを、
読み手にアピールする部分は微塵もありましん。
当時、どんな気持ちを抱いたのか、
そのことが、冷静に語られています。

彼女のたどってきた道のりは、
子どもでも大人でも耐え難いものが多く、
読みはじめてしばらくは、
「こんな目にあったときの思いを、
なんでこうして淡々と語れるんだろう?」
と思いました。

しかし、読み進めていくと、
だんだんと腑に落ちていきました。

きっと、三浦さんは、
自分の思いを言語化すること、
あるいは「きっといつか言語化できる」と一旦蓋をすることで、
自分の気持ちを自分で受け止めて、
なんとか自分を守りながら、
生きてきたんじゃないでしょうか。

大切な家族がいたとしても、それは、
絶対的にこの人に話せば受け止めてもらえる
この人なら理解してもらえる、
という存在であるとは限らない。
だから、自分で自分の痛みを言葉にしたり、
一旦閉じ込めようと意識することで、
なんとか自分の足で立ってきたのではないだろうか、と思ったのです。

彼女の言葉は、
テレビやインターネットを通して出会うときも、
偽りがなく、
正直で、
でも開けっぴろげというわけではなく、
まっすぐ響きます。
ときには、痛みを伴うことも、冷静に言葉にしてしまう。

それは、冷たいということではなく、
そうしていろんな痛みを受け止めてきた、
彼女の道のりを映しているようにも思いました。

そして、それらの痛みを経て、
ああ孤独や女性もいいものだなと思えるようになって、
この本がわたしたちの手元に届いたように感じています。




以上、感想でした。


とても個人的なことが書かれている本なので、
あまり内容について、
ここがどう、これがどう、と語るような感じではなく、
全体に対する感想になりました。

この本で語られている、
三浦瑠麗さんの経験してきた一つ一つは、
あくまでも彼女の経験です。

でも、経験そのものは異なるとしても、
孤独であることや、
女性であることの痛み、
あるいは男性であることの痛みについて、
自分で受け止めながら生きてきた人間にとって、
きっと味方になってくれるような、
そんな1冊でした。

おすすめです。